Clockway

項の日記です。

123

今日は123の日だよ!
と珪ちゃんに昨日言われまして。



おおー123か、良いねえ、キリ番だねえとぼけーと考えていたわけですが。
すぐに我に返り気付く。



MOTHERの日じゃないですか。
(MOTHERシリーズは全3作だから)



うわあやべえ寝不足を取り戻そうと転がってる場合じゃない何か描かなきゃと思ってPC点けたけど、描けなかった。
イラスト構図思い付かないし、描いてみても表情固くて気持ち悪いし、やめたやめたーって。



なんか、自分の力量不足を強く感じるのよな、何事にも。
不自然に笑ってる顔じゃなくもっと本気で、泣いたり笑ったり怒ったりしてる顔が描きたい。
みんなで旅してたりなごんだりしてる絵が描きたい。



自分、もちっと頑張れんの? もっと集中しろよ。みたいな、ね。思うのさ。
一昨日の夜も幸宮先生が堀口レオ先生のニコニコ生放送のお知らせをツイートしてたからつい行っちゃって1時間潰したし。
いやでも漫画家さんの声とか聞けたり、描いてるとこ見れたりって感動ですよね。あ、ちゃんと生きてる人が描いてるんだなあ、っていう。漫画の見方が変わる。
んでも、聴いてよかったと私は思っています。なんかね、連絡取れ合えるDQ4コマ作家さん集めて復活版4コマ劇場やりたいね、って言ってました。すごくよみたい(´∀`*)



テスト勉強に熱心になりたい。
でも散漫する集中力。結果足りない睡眠。貯まるストレス。集中できないからリラックスに趣味(漫画読んだり音楽聴いたり)に走る。
悪循環ばか。



この前さ、施設で暮らす私らと同年代の就活してる子たちのビデオ、見たって書いたじゃん?
それ見て自分がいかにストレス軽い方の人間かって気付いたのね。
生まれたときから親がいなくて、高校中退して施設追い出されて、いまそこで暮らしながら就職探してる17歳の女の子が、つらい思いを詩に書いて発散させてたの。
スタッフが覗き込んでも、恥ずかしがったりせず、むしろ暗唱してみせる。
「頑張ったね。つらいよね。でもいつか幸せになれるよ」
2、3つ女の子は暗唱してみせたけど、私にはどれも同じ意味合いに聞こえた。同じこと何回も書いて、意味無くないかなと思ったりもした。
そもそも、詩とか、人に見せるの、普通恥ずかしがるものじゃないかと思ってた。
よくあるじゃない。初恋の思い出をたたえたポエムを掘り起こして、うわあやばい恥ずかしい燃やして! って状態に陥ったり、それが親に見付けられて読まれた日には、もう死にたい…ってくらい絶望した、という話。(まあさくらももこさんの話なんだけど)



でもその子は淡々と読んでいた。
ずっと誰かに触れてほしかったんじゃないかな、その傷に、詩に。
施設職員と子供はあくまで他人なわけだから、親ほどにプライバシーに介入することはできない。
高校中退したその子にはもう、毎日思いをぶつけられる友達もいなかった。
まあでも普通言えないよな、私実は家族いないんよ、なんて。余程仲良くなった子か信頼できる子じゃないと。
だから、顔も名前も知らない、テレビの向こうで自分を見ている人たちに、傷を知ってほしかったんじゃないかな。



って感じて、よし私頑張ろうって思ってたのになーorz



つかこんな書く前に勉強しろよ!
と気付いた。とりあえず音楽を聴く。さらば。