Clockway

項の日記です。

ニッポンのジレンマ

個人的にまとめたくて。
ほぼメモそのまま写したものです。

ニッポンのジレンマ
Eテレ 2013年4月27日(土)24:00〜(4/28 0:00〜)

この国に希望はないけれど私は幸せ!って人が多い。
特に20代若者が多い。なぜ?
「景気は悪くても私は幸せ」

そもそも、「希望」とは?
高度経済成長期(〜1980)における「希望」は、より裕福に、豊かな生活を目指すことと直結していた。
しかし1990年代以降、成長期を一通り終えてしまったため、豊かさ=希望の方程式が崩壊する。

じゃあ、現代の「希望」って何?

不幸は共有しやすい。
敗戦の記憶、東日本大震災の被害、などが最たるもの。
想像だけでも一緒に喪に服することができる。
しかし幸せは多種多様。

「景気は悪くても私は幸せ」
この意見の比率が最も高かった世代は30代女性。
なぜ30代女性にこの思考の人が多いのか?

30代は女性にとってライフコースのターニングポイントである。
社会・国の多様化が進んではいれど、依然として男性社会の世の中。
それまで順調に出世してきた女性たちも、この年代になって、ここから上の階級に女性はご法度だ、男性に譲らなければならない、というような「ガラスの天井」に直面する。
このとき女性は、将来への役割・展望を改めて見つめなおす。

仕事に従事し続けるか?
家庭に入るか?

ゲストの女性「仕事バリバリの時期に子どもの妊娠が発覚したんですけど、そのときに思ったことは、『やばい! 出産費用稼ぐためにもっと仕事増やさなきゃ!』でした」

現代の20代女性の専業主婦志向は50%を超えている。
この数字は、30代〜50代女性のそれを越えて、60代女性並み。
しかし彼女たちの想像する「センギョウシュフ」は、「専業」ではなく、「選業」主婦ではないか?
専業主婦=家事、育児、その他家庭のことに従事
選業主婦=家事+育児+趣味仕事(文字書き、テレビ出演、ホームワーク)

現代の若者には、将来のロールモデルがいない。
今の20代の親の大半は、夫がサラリーマン、妻が専業主婦。
だがそれを羨ましいとは思っていない。=昭和型理想像からの脱却
だから、親とは違う働き方を模索する。
だが、確固とした「こうありたい」理想像は、ない。

司会「○○さんは仕事と家庭両立されていて、若者たちにとっては憧れの的なのではないでしょうか」
ゲスト「両立してすごいね、ってみんな言ってくれるんだけど、私にとっては成り行きなんだよね、気付いたら両方続けてたっていう」

現代の若者の幸福感、新しい幸福感を模索する。
経済的豊かさと違う幸せ。
友達と一緒に暮らしているから幸せ。
個人は、社会とは別の次元で、切り離して見て、生きていける。―シェアハウスに住む若者

会社を辞めて農業に従事する若者たち。
「社会の歯車として機能することに違和感を感じた。もっと自分が対象に関わっていることを実感して生きていたい。自分自身が、いま、幸せでいられるような生き方をしている。『こうありたい社会』を夢見たとき、そのためには、日々の自分の暮らしを充実させることがまず大事だと思った」

みんな自分のサイズで生きていく。
自分の身の回りを固めて、生きていく。

「この20代が、将来的に次世代を作り出すことができるのか? と思うと、とても不安を覚えます」
次世代を作り出すということは、家族世帯に入るということ。
「私たちだけが幸せ」ではいけない。もっと広い、社会的存在にならなければいけない。
夫婦世帯ならまだ自由が利くかもしれないが、子どもを生み出したとき、経済的および社会的な責任感がどっと押し寄せる。それに耐えきれるかどうか。
現代の若者は、一代限りの繁栄ならば良いのだが、次世代につなげられる世代かというと、危うい。

今の若者の共同体は、とても濃い。
かつて親子関係を表す語であった「スープの冷めない距離」が、友人同士で使われている。
スープの冷めない距離…いつもべたべたに仲良しだけれど、ちゃんと双方のプライベートは立ち入らないようにする距離感。

現代の若者は、「世代間格差」と大人から言われても、あまりそれを意識していない。自分の世界に閉じこもる、社会的迷子の生き物なのではないか?

コンサマトリー(consummatory):自己完結的  な若者
インストゥルメンタル

昭和の幸福からの脱却の必要性(親を羨ましいと思っていない)
父親→忙しい
母親→相談しようとすると逆に愚痴を聞かされる

キーワード:時間
ワークライフバランス
現代の日本労働者は、長時間労働で逆に日中生産量が減っている。
休み時間を確保して、効率の良い働き方の模索を経営者に訴えかける必要がある。

かつては、男性=ワーク、女性=ライフ と立場を割り当て、それでなんとなくうまくいっていたから今までその姿勢が受け継がれてきたけれど、このままでいいのか、と少しずつ問いかける必要がある。社会は急には変われない。

「仕事か余暇か」の二者択一ではなく、第三の選択肢の可能性。
昔、長時間労働が神聖とされてきて、それはいまも顕在である。
だがこのままの思想でいえば、危機が多い。たとえば対海外の危機。
同じデザイナーとしての実力があれば、費用が安く済む東南アジアの会社に、日本は負けてしまう。
時間当たり労働制の必要性。
空いた時間で学べる。自己のスキルアップに回せる。

意外なことに現代の若者は、志向としては国や社会と個人との二者択一でいえば、前者のほうに意識を向けている。
「豊かな国に生まれて申し訳ない」と言う若者は多い。
カンボジア等途上国に行く若者も多い。
倫理的に長けた感性を持っている。「自分の消費で他人が幸せになれるのならば嬉しい(ペットボトル1本1円寄付等)」エシカル消費志向。

持続可能性(サスティナビリティ)を念頭に、持続可能な革命を。
スローガンよりも個人の実践が大切。

「私たち幸せ」の閉じた世界じゃあ次世代をつくれない。

自分の労働時間を自分でデザインする。
家でもできる知的財産(アイデア)活用の仕事と短時間労働を兼ねる、などのモジュール型ワーキングの可能性。

新たなスキーマでものごとを捉えろ!

次回放送 5/25深夜

こんなかんじでとてもおもしろかったんです!
前回放送のハイライトでうちの大学の教授が出てたんでホイホイされてみたんです。教授、ありがとう!