Clockway

項の日記です。

研究課題について

研究課題「歴史的に見る中絶問題と水子供養

根は大学1年生。
グループでひとつのテーマをもとに学習し、その内容を発表するというもの。
「女性福祉」が私の属するテーマのひとつだった。
グループで、労働やらシングルマザーやら合計特殊出生率やら2,3つ取り上げるものを挙げて、私はもうひとりの子と、合計特殊出生率を担当することに。

調べていくうちに、検索ワードに「子下ろし」「口減らし」が出てくる。
見慣れぬ単語だったため、なんじゃらほいと検索。
出てきたのは、「水子と河童伝説」

江戸時代、村を飢饉が襲った。
飢え苦しむ家族は、幼子から順番に、子供を神に返した。
つまり、ころした。
7歳までは人間ではなく神の子と、暗黙のルールがあった。
ある農家では、男の子が生まれたら育て、女の子が生まれたら産婆がその首を折った。
神に返された子供の体は、川に流され、水子と呼ばれた。

あるとき、行商人が、川のへりを歩いていた。
突然、川から手が延び、川の中へ引きずり込まれた。
命からがら逃げ出した行商人は、行く町でその話をする。
水子のたたりだ」町の人はそう確信した。

以後、水子地蔵をたてたり、供え物をしたりして、供養を始めることになった。
これが水子供養であり、河童の元祖である。

とか、こんなかんじだった。

江戸時代は、1歳まで生きられる出生率、成人まで生きられる生存率が低いのだ。
この話はかなり衝撃的で、女性福祉とはかけ離れているなと思いつつも一応レポートを書いた。
時間が余ったら読むねと発表者に言われ、案の定余り、読まれた。

水子供養をはじめて知ったのは、1年生の夏休み。
このこのにはロボトミー手術の存在も知り、そんなとんでもないものがこの世に存在していたなんて…と、ちょっと病んでいた記憶。

つぎに感化されたのが、奇形。
京極夏彦さんの「うぶめの夏」と、ゲームの「baroque」。
前者は無頭児、後者はシャム双生児
とくに前者は画像検索してその恐怖にふるえた。
こわいよこわいよ。こんな体で生まれてこられちゃうなんて、かわいそうに。
しばらくそう思ったのち、感じた。
でも、どんな体でも、母親にとっては、可愛い我が子なんだよな。

どちらも、日本ではあまりケースがないらしい。
外国ではシャム双生児の子の写真が割と見掛けるのに、歴史上ひとりも、日本では無頭児やシャム双生児が生まれないなんて、ありえなくないか?
そう知恵袋で質問していた人がいた。
回答には、日本では、そういう奇形児は、出生したとして日本では生きていられないと判断されるため、生まれた時点で、死産にさせられます、と。

これがまた鳥肌たった。

その人が本当に出産実情を知っていて言っているのか、その人の予想の範疇なのかはわからない。でも、ありうることだな、と。

最後は、出生前診断
それ以前に女性の出生率低下について、本を読んだことがあったので、その存在は知っていた。
そんなに精巧だとは思わなかったけれど。
このへんは考察不足なのでいろいろ考えなきゃね。