Clockway

項の日記です。

放浪記の自己分析

哲学の授業の最終課題で、「自分論」というものが提示されたので、自分についていろいろ書いていた。その一環で、「放浪記」という、高校時代に書いた小説について分析していたら、自分にブーメランがぐっさりとぶっささってきたので、以下、紹介してみる。

書いていて楽しいものを目指した。主人公は苦労人だった。周囲のボケに対処していた。ひとりで、物語が本来の本筋に戻れるように検討していた。主人公以外のほかのキャラクターは、それをかきみだし、より面白い展開を作り出そうと健闘していた。それはおそらく、どちらも私だった。「本来の本筋を正しく進むことを望む私」と「一本道のルートを嫌い、他所道を歩き、あわよくばそのまま逃げだす反抗的なそぶりを見せつつも、本筋からは離れられない私」の、ふたつに、大きく分類される。この物語は、周囲に多少厭われても、「本筋の物語を描こう」「本筋の人生を生きよう」と語りかける私が投影されていた。同時に、そう語りかける自分に対して、「そんなことどうだっていいじゃん」と放棄を誘いかける自分も、存在していた。

ハイ、ここ、重要なのは赤字ね。
実は、主人公の名前が「ルート」なのね。

命名理由は、数学の「ルート記号(√)」なの。博士の愛した数式の真似っこなの。でも、ルートって「筋道、順路」っていう意味もあるじゃない?
偶然に名づけた名前が、こうやって巡り巡ってこうぶっささってくるとは思わなかった…こわ…い…。

ちなみに人物設定ですが、私の小説とせんゆー、両方知ってる人はなんとなく察しているでしょうが、せんゆーと割と似てます。
ぱ、パクリじゃないよ!だって書き始めたの2007年ですし!勇者とか魔王とかそういう設定はないし!なによりロスさんみたいな暴力キャラいないし!主人公がツッコミ役で周囲が総ボケってだけだし!よくあるよね!そういうの!うん!偶然の一致!うん!!
なので、せんゆーには、意図的にハマった部分もあります。