Clockway

項の日記です。

ぼんやりと

ばあちゃんの認知症が着実に進行していってるわけなんだが、口頭で「できる」と言ってることもできなくなってきたなぁという実感がある。
具体的には服薬管理。
30日分の薬を10日で飲みきってしまったり、逆に全然飲まれてない薬があったりするので、薬袋に日付を書いてお薬カレンダーを導入したら、それでも日にちを間違えたり時間を間違えたりしてしまう。
不思議だねえと言って笑っている。
薬を飲みすぎてはいけないと母親が管理することに決めたら、今日は薬を探して居間を片付けていた。
感情面が穏やかなこと、身体的介助が必要ないことはありがたい。

大丈夫? と聞いて、大丈夫と返事があって、もし結果が大丈夫じゃなかったら、果たして言葉でのコミュニケーションにどれだけの意味があるのだろう?
会話するという機能が衰えていないだけで、その内容はどれだけ祖母のなかに落ちているのだろう? どれだけ理解しているのだろう? どれだけ意味のある行為なのだろう?
言葉で会話することは脳を使うので、老化予防にはもちろん良いのだろうから、無意味ではないと思う。会話をすると感情や表情が出てくるし。
祖母の目には世界がどのように見えているのだろう。
祖母の世界はどのような場所なのだろう。

最近は、祖母が以前テレビを見ていた部屋で私が寝ているので、祖母はテレビをあまり見れていない。
おかげでテレビの宣伝文句に踊らされて食材を買い込んだりすることはなくなった。
家族にとっては良いことかもしれない。
でも、祖母にとって情報が減ることはどういった意味を持つのだろう?
テレビが見れなくなったことで、祖母に与えられた変化はいかほどだろう?
今のだいぶ世界の閉じた祖母に対しては、誰にでも、私にでも情報操作ができそうで少し怖い。
だから高齢者向けの詐欺は存在するのかなと思った。
ぼんやりと。