Clockway

項の日記です。

ゼミ

ゼミで、卒論のテーマについて話し合いました。
各々の興味のあることを適当ーに書き出してみて、それについて説明して、ってかんじ。



私は、【1】障害者について【2】その他 の2大分野で発表した。
【1】がメインで、障害者の気持ちやら母親の気持ち、社会の気持ち、障害ってなんぞ、などなど。
【2】がサブで、こちらは福祉関係なしに、自分の好きなこと。最近のゲームについて、とか書いたw
ゲームの暴力問題はさして問題でないと言われるけど、ゲーム内の戦争とか、現実では規制していることがゲームのなかではさも[世界観]として描かれている。これはどうなの? いま唄ってる[平和][戦争廃止]の文句は何? とふと考えたわけだ。



なんかね。
医学を学びたいな、って改めて思った。
障害者の発生原因を知りたいのよ。
それを抑制するか否かは別問題として。



先生は、障害者は必ず一定の割合で生まれてくるものだと言った。
はたらきアリの3:7の法則のように。
障害者がはたらかないアリであるわけではないけれど、その一定の割合は、神様の与えたものなのだと。
一定の割合障害者が生まれることで、人類を支えているのだと。
その障害者を生まれないようにしようなどと思うことは、神様への冒涜なのだと。



んでも私は、じゃあ不妊治療は神への冒涜じゃないのですか、その子が生まれないように神様が作用しているのに、それに逆らって、流産防止薬、人工受精、未熟児の育成をすることは、神様の意向に逆らう人間の行為なのでないのですか、と反抗した。



不妊治療は障害者の生まれるリスクを高める。何が本当に神への冒涜かはわからない。
障害者がもし生まれなくなったら、現在の福祉問題が解決するわけでなく新たに問題が発生するだけだと思う。



それでも、彼らはどうして一定確率生まれるのか、知りたいなあと思う。



そんで、障害者のお母さんが、「赤ちゃんを生んで、おめでとう、よかったね」って言われる社会になってほしい。



障害者が生まれない社会ではなく、障害者が、社会のお荷物と認識されない社会を私は望みたい。
いや、お荷物、として、それを一緒に支えている、という気持ちが、いまの福祉社会を支えているのだろうか?



なんかよくわからんくなったので、文献講読の予習に移行しようそうしよう。