Clockway

項の日記です。

肯定

「他人にどれだけ評価を求めようと、最終的に自分を肯定できるのは、自分だけですよ」

去年の春ごろ、出版会の先輩に言った言葉。
先輩は就活中で、付き合っていた彼女さんと別れて、不安定な時期。後輩ちゃんに相談を繰り返す日々。
「僕になにかできることはない?できることなら、なんでも手伝うから」が、口癖だった。
心の中で、「先輩が片手間にできることなら、既に私が片付けています」と毒づきながら、「ありがとうございます」とかわしていた。こと相談に対しては冷たい態度を保つ後輩だったため、あまり頼られることはなかった。ひでぇ後輩だ。

なんで、自分のことでいっぱいいっぱいなのに、元いた団体のことを気に掛けるんですか。
自分の問題を片付けてからじゃ駄目なんですか。
全力で取り組めない戦力なら要らないんです。
あるとき、そんなようなことを、先輩に言った。

先輩が、こぼした。
「頼りにされたいねん」

頼り?
「自分のしていること、自分の居場所、自分の価値に、いま、意味が見出だせない。だから、誰かのために、なにかをしたい。ありがとうって、言われたいねん」

なんだこの女々しい人は。
と思い、口を出た言葉が、最初のひとこと。

どれだけ他人に批判されようと、自分が自分を肯定できていればそれで充分。
どれだけ他人に評価されようと、自分が自分を否定していれば、自分を認められないまま。
だから、他人の言葉を求めるんじゃなくて、自分で自分を認めてあげてください。

そんなことを言った。

今年、ようやく先輩と同じ立場になって、その言葉の正当性と、残酷さを、理解した。

自分を肯定できるのは自分だけ。
でも、肯定、できなくなるときが、あるんだよ。
評価と批判を、こちらが望む望まぬに関わらず、投げ掛けられるときが、くるんだよ。

この言葉を言えた頃の自分は、世間知らずで、苦労知らずで、虚栄張りで、自己本位で、幸せだったんだろう、な。

ことあるごとに思い出します。