Clockway

項の日記です。

受験生の逃走記

 浮かない気分のときに、曇り空を見上げてはいけない。
 大学入試を控えた、高校三年生の秋のことだった。高校では、三年生向けの自主学習時間として土曜日に教室開放を行っていた。普段の授業時間と異なり、九十分の学習時間、十分の休憩時間、の区切りで、始業終業のベルが鳴る。三十分にいちど担当教員が各教室の見回りに来る以外監督はいないが、暗黙の了解として勉強時間の間に席を外してはならない。
 家のなかひとりで机とにらめっこしながら勉強をすることが大の苦手であったこと、友人も数名参加していたこと、などの理由から、私もこの教室開放をよく利用した。午前二コマ、午後二コマで、あいだに一時間の昼休み。休憩時間であれば途中参加も早退も個人の自由であった。
 だが、決まって勉強時間の間に、ふと教室を抜け出したくなってしまう。
窓の外から聞こえる野球部の掛け声、テニスボールの跳ねる音、吹奏楽部の演奏。青春である。数か月前までにはすぐそばにあった高校生活である。窓一枚隔てれば、そんな世界が広がっている。なのに、なぜ私たちは座って問題集をにらんで定期考査の勉強をしていなければいけないのか。
 休み時間には気にならない。どの日に行っても大抵友人のひとりふたりがいるから、どうでもいいくだらない話をたくさんして、現実逃避に励めばいい。でも、いざ勉強開始の鐘が鳴ってみんなが机に向かい始めると、外の喧騒がやたら耳に響いて、自分たちだけがこの教室の中に閉じ込められている気持ちになる。
 閉じ込められているのならば逃げ出そう。
思い立ったら即行動の性格は今も昔も相変わらずだ。勉強用具は机の上に広げたまま、必要以上の物音をたてないように、まわりに迷惑をかけないように、こっそりと逃げ出した。
 ある日は景色の奥に見える山をひたすらに追いかけた。ある日は住宅街の植木鉢を鑑賞して歩いた。ある日は線路沿いを歩いた。九十分間、次の休み時間には教室に戻れるように、携帯電話を時計代わりに持ち歩きながら。
 その日は高校のそばに広がる田んぼを歩いた。周囲に視界を遮るもののない、ほぼ半球ジオラマさながらに広がった空を仰ぐと、隅から隅まで、うっすらと厚みのある雲が、ぱらりぱらりと散らばっていた。ぽん、と、お茶碗を逆さにして蓋をされたような、まんまるの、空だった。足が固まり、ただ上空を、四方八方見つめ続けた。ぽつりと涙がこぼれた。どこへ逃げても、この半球から、地上からは決して離れられないのだ。地上で生まれ、地上へかえるのだ。その事実が、ひたすらに涙をさそった。
 いつも見上げればそこにある、どこまでも続いているはずだった空の、天井を見つけてしまった。

項さんの初エッセイ。
単位互換先の授業で書きました。
台風の次の日の出来事でした。
過去日記さかのぼってみたら、11月でした。
いつでも秋は落ち着かないよね。