Clockway

項の日記です。

尊敬

上司さんにね。
依頼されていた文章を見せたんです。
事業内容を自分で調べて、まとめてみてねっていうので作った、文章。

「文章自体はまとまっていてすごく綺麗なんだけど、内容の理解がもしかして伴ってないんじゃない?」

ぎくっとしました。

「なんだろ、言ってることはその通りで、正しい文章なんだけど、奥行きが見えない」

そのとおりです。
キーワードを拾って、それを自己解釈も含めて順列に組み替えた文章がそちらになっております。
制度や内容の詳しい理解はしておりません。

自分の文章の癖が何となくわかった気がした。

また別の上司には「要約力がある」と褒められたのね。
「必要な情報を抽出する能力があり、それを表現する文章力がある」と。
でも、それだときっと国語的能力に留まっているんだろうな。
現代文のテストの要約の問題。「メロス」「セリヌンティウス」「妹」このキーワードを用いて、この文章を要約しなさいという問題が解けるという能力。最低限の体裁のとれた文章を作成できる能力。

表面は綺麗にコーティングされてるけれど、中身はどろどろで固まっていない半生のプリンの失敗作みたいな。
よくわからないものごとを理解せずに奥に押し込めて表面だけは綺麗に繕ったクローゼットの中みたいな。
字面だけにとらわれた、中身のない、要約筆記するに値しないからっぽの文章。

中身からっぽの文章を書いてしまうのは、それもまた私の筆記スタイルのひとつなのできっとそれはそれで良いのだけれど。世の中は無駄なことにあふれており無駄なことが存在しない世界なんてスカスカでおもしろくないから。無駄なもののなかから価値あるものを探し当てるのがおもしろいんだからそれでいいんだから。

仕事では無駄のないビジネス文書を作成したいです。

そしてまたからっぽの文章が量産されてしまった。